キング牧師の「ワシントン大行進」での
「 I Have A Dream(私には夢がある)」演説について
「 わが友よ。われわれは今日も明日も困難に直面しているが,
それでも私には夢があるといいたい 」
第2次世界大戦は連合国の勝利に終わり、それは日独伊という全体主義国家を打ち破り、世界に自由と民主主義をもたらしたはずでした。連合軍は、敗戦国日本に「日本国憲法」という基本的人権の保障を高らかに歌い上げる憲法を残し、国連は1948年「世界人権宣言」を高らかに歌い上げました。ところが、自由の国・民主主義の国であるはずのアメリカの南部の諸州の多くでは、あからさまな人種隔離政策が続いていたのです。リンカーン大統領の『奴隷解放宣言』から100年を経た1960年代になっても、アメリカでは、黒人の参政権が条件つきでしか認められておらず(ひどいところでは黒人の住民のうち投票権を有する人が1%にも満たないありさまでした)、交通機関やレストラン、娯楽施設、学校等の公共施設でも、白人と有色人種の利用する場所を区分けする人種隔離が一般的に行われていたことなど、日常生活においても人種差別が色濃く残っており、人種差別に起因する様々な事件や社会問題も生じていた。こうした中で、キング牧師などの活動家の指導の下に、黒人たちの公民権(参政権など)獲得を求める運動が盛り上がりを見せた。
1955年アラバマ州モンゴメリーの市バスに一日の仕事に疲れたローザ・パークスという黒人女性が乗り込みました。白人専用席を避けて後ろに座りました。ところが、後から乗ってきた白人は白人席に空席があるにもかかわらず、さらに席を譲るようにと命じたのです。この運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒んだことで人種分離法違反として逮捕されます。この事件をきっかけに、バスのボイコット運動を中心に差別撤廃の運動が盛り上がります。この運動の若きリーダーとなったのが、キング牧師だったのです。
自由と平等を求める運動は、白人過激派による暴力と、南部諸州の政府による弾圧にさらされます。キング牧師の家には爆弾が投げ込まれ、キング牧師の勤める教会は放火されます。自由と権利を求めたとして投獄され、胸を刺されて命を落としかけます。それでも彼は、 インド独立の父と言われるガンジーの非暴力・不服従の運動に学び「暴力には魂の力で応えるのだ」と指導したのです。
このようにキング牧師を中心とする黒人公民権運動の大きな山場として、首都ワシントンにおける行進は、計画されました。主催者であるキング牧師達は10万人の参加者を願いました。マスコミは5万人程度の予測をしていたといいます。
1963年8月28日,ワシントン大行進には、主催者の願いをも大きく上回る、白人も黒人も分け隔てなく25万にもの人々が参加したのです。彼らを前に、リンカーン記念堂前でリンカーン像を背にして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師による“I have a dream.”演説が行なわれたのです。
1964年、公民権法が制定されます。キング牧師はノーベル平和賞を受賞します。それでも、妨害行動は続き、牧師自身何度も逮捕されます。そして、1968年4月テネシー州メンフィスにおいて、暗殺されてしまいます。39歳の若さでした。非暴力を貫いたキング牧師は暴力によって命を奪われましたが、彼の魂は滅ぶことなく輝いています。
「私があなた方に言って欲しいことは、私が人類を愛し仕えようとしたこと・・・私が公正のための楽隊長であったこと、私が義のための楽隊長であったことである。・・・私はただ全力を尽くした生涯を後にのこしたいのである」(暗殺を予感したキング牧師が説教の中で)
1963年8月28日、ワシントンDC。不当にも侵害され続ける黒人の公民権の確立を求める人種の壁を越えて集まった25万人という空前の参加者を前に・・・キング牧師の張りのある声が、聴衆の心を強く,深くゆさぶりました。それは、あたかも黒人霊歌のような響きでした。
是非、その全文にふれてみてください。
ということで、演説の全文と(英文と和訳)をどうぞ。